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大阪地方裁判所 昭和58年(ヨ)2623号 決定

申請人

吉川一廣

右代理人弁護士

田窪五朗

斉藤真行

西本徹

被申請人

株式会社ニッセイテック

右代表者代表取締役

望月長夫

右代理人弁護士

香月不二夫

主文

本件申請を却下する。

申請費用は申請人の負担とする。

理由

第一当事者の求めた裁判

一  申請の趣旨

1  被申請人は申請人を従業員として取扱え。

2  被申請人は申請人に対し、金二二万五〇〇〇円及び昭和五八年五月二五日以降毎月二五日限り金二二万五〇〇〇円を支払え。

3  申請費用は被申請人の負担とする。

二  申請の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張の骨子

一  申請の理由

1  被申請人は、従業員七名を擁し、自家用電気施設者の受電設備、配電設備の竣工試験等に関する受託業務等を目的とする資本金五〇〇万円の株式会社である。

申請人は昭和五五年三月三日日本精密計測株式会社(以下、日本精密という。)に嘱託員として入社し、同五七年一〇月同社が営業部門を形式上分離独立させ別会社として被申請人を設立した際、同月二一日被申請人に移籍した。

2  申請人と日本精密との間の嘱託契約は昭和五五年三月三日締結され、同五六年三月二一日、同五七年三月二一日更新された。右契約は同五七年一〇月二一日、労働条件等諸条件を従前どおりとしたまま形式上日本精密から被申請人に引継がれ現在まで存続している。

即ち、右嘱託契約の二回に亘る更新の際、賃金の増額以外の労働条件については何らの交渉がもたれることもなく、従前の条件のまま自動的に更新され、期間の定めのない嘱託契約に転化した。

仮に、期間の定めのない契約に転化していないとしても、契約締結当初の当事者の意思、契約更新が続けられた経緯等に鑑み、当然自動更新されるべきものであるところ、同五八年三月二一日以降も同年四月七日に就労を拒否されるまでは申請人は従前どおり就労しており、被申請人もそれまで右就労に異議を述べたこともないのであるから、既に本件契約は自動更新されあるいは、更新につき黙示の合意があったものである。

3  申請人の昭和五八年一月ないし三月の給与はいずれも金二二万五〇〇〇円であり、右賃金の支払方法は毎月二〇日締切りの二五日払である。

4  申請人は妻、長男、母親を扶養しており、会社からの収入を唯一の生活の糧としていたものであって、会社の就労拒否により、申請人及びその家族は生活手段を奪われるに至った。

申請人は本案判決の確定を待っていては、回復し難い重大な損害を被る。

二  申請の理由に対する認否

1  申請の理由1の事実は認める。

なお、従業員中三名は一年契約の嘱託員である。被申請人は形式上も実質上も日本精密から分離独立し、申請人は右時点から被申請人の嘱託従業員となっている。

2  同2の事実のうち、日本精密と申請人との間の嘱託契約が昭和五六年三月二一日、同五七年三月二一日に更新されたことは認めるが、自動的に更新されたとの主張は争う。

申請人と被申請人との間で同五八年三月二一日嘱託契約が更新されたことは否認する。申請人が同日以降約一〇日間営業活動をしていたことは認める。

三  被申請人の主張

1  日本精密は、業務受注獲得のための営業活動を行うという特殊な業務を遂行させるために新たに同年三月に制定した制度によって、昭和五五年三月三日に申請人、福重広輝、同年五月二一日に山口啓文、同年八月二一日に竹内清を、それぞれ期間を一年とする嘱託員として採用した。

2  日本精密は、昭和五五年五月二一日嘱託員就業規則を新たに制定して、その労働条件を規律するようになった。就業規則によると、嘱託の契約期間を一年間とし、一年経過後は本人に働く意思と能力があり、会社が必要と認めた場合、賃金等の諸条件について双方に異議のない場合に契約を更新できることになっている。

3  日本精密は申請人との間で、昭和五六年三月二一日、同五七年三月二一日、それぞれ新たな労働条件を交渉し、双方合意のうえ、新たな契約書を作成して期間一年の嘱託契約を締結した。

4  その後、日本精密は営業員の営業活動が不熱心となり採算がとれなくなったため、営業員らによる独立会社を設立して独立の損益計算により運営する方針に改め、昭和五七年八月一四日被申請人を設立し、被申請人は同年一〇月二一日より営業活動を始めた。そして、同日被申請人は日本精密から嘱託契約の一切を引き継ぎ、申請人は日本精密を退職して被申請人に移籍した。

5  申請人はその後被申請人の従業員として就労していたが、被申請人の営業成績が振わず、赤字経営が続くため、昭和五八年二月二五日取締役及び従業員全員が合議して、「非常事態宣言」をなすとともに、売上目標の達成を誓い、その具体的方法として、業務の実態は営業員と同じである取締役らの昇給賞与の凍結、嘱託員らの給与を歩合により支払われるフルコミッション制に変更することを決議し、申請人も同意した。しかし、翌三月の契約期間満了に際し、被申請人が新たな契約を締結するために、フルコミッション制の具体的契約条件(業務委任契約)について申請人と交渉したところ、申請人はこれに応じなかった。申請人は契約期間満了の同年三月二〇日に至るも「少し考えさせてもらいたい。」旨申し述べて応諾せず、同年四月七日に至り最終的にこれを拒否した。したがって、被申請人は、同年三月二〇日の本件契約の期間満了をもって嘱託契約の終了として取り扱わざるをえなかったものである。

6  以上のとおりであるから、本件契約は、申請人に対し期間満了後も引き続き雇用されるという期待を抱かしめるものでもなく、期間の定めのない契約に転化することはない。

また、被申請人は昭和五八年三月二一日以降も約一〇日間、申請人の営業活動を黙認し、交通費を数回支給したことはあるが、これは申請人において契約締結の可否について考慮中のことでもあり、その便宜のため事実上認めたにすぎないものであるから、これをもって自動更新と解すべきではない。

仮に、自動更新にあたるとするならば、被申請人は同年二月二五日の前記合意違反を理由に、申請人に対し同年四月七日「会社に出社しないで下さい。」と通告して解雇したものである。

四  被申請人の主張に対する反論

申請人は、昭和五八年二月二五日当時、嘱託員の給与をフルコミッション制に変更することに同意したわけではない。右制度について十分な説明もうけず、「非常事態宣言」の下でわけがわからないまま半ば強制的に決議書に署名押印させられたものである。

フルコミッション契約は、申請人にとって、従来の労働条件を根本的に変更させる極めて厳しいものであった。そこで、従来の嘱託契約更新の経緯から従前どおりの条件で今後も働けると思っていた申請人としては、被申請人の提示した条件をそのまま承諾することはできず、被申請人に対し再考を促した。しかし、被申請人は申請人の申出に耳を貸さず、昭和五八年四月七日に至るも話し合いができなかったものである。

申請人は被申請人から解雇される理由もなく、また、解雇の手続もとられていない。

第三当裁判所の判断

一  被申請人が申請人主張のとおりの営業目的を有する株式会社であること、申請人は昭和五五年三月三日日本精密との間で嘱託契約を締結し、同五六年三月二一日、同五七年三月二一日に右契約を更新したこと、その後、日本精密はその営業部門を独立させて被申請人を設立したこと、右契約は同年一〇月二一日労働条件等諸条件を従前のままとして日本精密から被申請人に引き継がれ、同日申請人も日本精密から被申請人に移籍したこと、しかるに、契約書に定められた期間満了日である同五八年三月二〇日に至るも、右期日以降の契約の諸条件について協議が整わなかったこと、申請人はその後も、就労していたところ、同年四月七日被申請人から就労を拒否されたこと、以上の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二  本件疎明資料によれば、次の事実が一応認められる。

1  日本精密には従前から嘱託員制度があり、かつて停年退職者などの高令者を嘱託員として採用し、守衛宿直等の業務に従事させたことがあった。そこで、日本精密は昭和五五年二月ころ営業実績を高めるために右制度を積極的に活用すること、即ち停年退職者等専ら五六才以上の高令者をその必要に応じ期間を限って臨機応変に嘱託員として採用し、これに業務受注獲得のための営業活動を遂行させることを企図した。

そして、被申請人は右方針に基づいて求人広告をなし、これに応募した者の中から同年三月三日申請人、福重広輝他六名を、同年五月二一日山口啓文、同年八月二一日竹内清をいずれも期間一年の嘱託員として採用した。

2  申請人は昭和五五年三月三日日本精密との間で左記内容の嘱託契約を締結した。

(1) 期間 右同日から同五六年三月二日までの一年間とする。但し、期間については一年経過後、本人において働く意思と能力がある場合で、賃金等諸条件につき双方異議がないときは、自動的に一年更新されるものとし、いずれか一方、または双方異議があるときは、更新について協議する。

(2) 契約の内容 日本精密は申請人に対し、同社指定にかかる従来の社員営業員一名と原則として共同し、電力設備保障メンテナンス契約締結の媒介を行うことを委嘱する。

(3) 賃金 固定給として月額一二万円及び歩合給として毎月の売上高の五パーセント相当額との合算額を支給する。

そして、申請人は右契約締結日以降日本精密の正社員吉田澄生と組んで、同人の指導を受けながら得意先を訪問し、従来からの顧客の世話と次期の電力設備保障メンテナンス契約の締結等の営業活動に従事した。

その後も、申請人と吉田とが共同して営業活動をする形態に変更はなく、申請人が単独で行動する場合も吉田の指示と指導のもとに営業活動がなされ、その成果は吉田の実績として日本精密に報告計上されていた。

3  日本精密は昭和五五年五月二一日嘱託員制度の積極的運用に伴って、その労働条件を統一的に規律するために嘱託員就業規則を制定した。

右就業規則には契約期間について、嘱託の契約期間は一年間とし、一年経過後本人において働く意思と能力があり、会社が必要と認めた場合、賃金等の諸条件につき双方異議がなければ、これを更新することができる旨定められている。

4  日本精密は、賃金について毎月二〇日締切り二五日支給としていた関係上、その事務手続の便宜のために、申請人並びに福永(ママ)との間で昭和五六年三月三日に更新手続をするべきところ、これを放置し、同月一五日ころ更新について話合いをした後、同月二一日付で再度嘱託契約を締結した。なお、申請人はその間も従前どおり就労していた。

右契約更新にあたっては、日本精密の総務部長乾乙彦が申請人らの稼働する大阪事業所に赴き、申請人らとの間で個別に契約内容の交渉をした。その結果、申請人については、仕事の内容を営業課としたうえ、従来顧客の管理保全のみならず、併せて新規顧客の獲得をも単独で行うこととし、賃金について従来固定給と歩合給の二本立であったのを月額二一万円の固定給に変更したうえ、その他の条件については嘱託員就業規則に従うことと改め、期間を同五六年三月二一日から同五七年三月二〇日までの一年間とすることに合意して契約書を作成した。

申請人はその後一年間右契約に基づいて前年度と異なる内容の営業活動に従事した。

福重については、賃金を従来どおり固定給と歩合給の二本立に据え置いたが、その他の仕事の内容等を申請人と同様に変更して契約書を作成した。

また、竹内については、第一回の契約期間が満了する同五六年八月二〇日、就業場所をFC本部、仕事の内容をFCチェイン店の育成等、賃金を毎月三〇万円の固定給に改め、期間を同五六年八月二一日から同五七年八月二〇日までとして契約書を作成した。

なお、申請人と同時に採用された嘱託員のうち、申請人と福永(ママ)を除く六名並びに山口は、契約期間満了までに退職し、契約更新に至らなかった。

5  日本精密と申請人らとの間における第二回目の契約期間満了のときも、その数日前に総務部長乾乙彦が前回同様大阪事業所に赴いて、申請人らとの間で契約の更新に関する協議をした。

申請人については、仕事の内容を変更して新規顧客の獲得に限ったが、賃金は従来どおりの固定給制度とし、期間を昭和五七年三月二一日から一年間として契約を更新した。なお、日本精密は当時労働組合との間で社員の賃金について交渉中であったところから、その均衡上右賃金協定が成立するまでの間、賃金額の具体的な決定を待ってくれるように要請し、申請人もこれを了解した。そこで、多少の増額をするとの約束で賃金欄を空白にしたまま契約書を作成した。日本精密は、労働組合との賃金協定成立後の昭和五七年五月二五日ころ、申請人との間で賃金を月額二二万五〇〇〇円と合意して精算した。

福重についても、賃金の固定給部分に多少の増額をし、申請人と同様仕事内容の変更をしたうえで、契約を更新し契約書を作成した。

竹内については、同年八月二一日就業場所を直営事業部又はFC事業部に、仕事の内容をFCチェイン店の育成から申請人らと同じ営業課に変更し、賃金を従来の三〇万円から二五万五五〇〇円に減額したうえで、期間を同年八月二一日から一年間として契約を更新し、契約書を作成した。

6  日本精密は本社を大阪に置き、東京、名古屋、福岡等数か所に営業所を置いていたが、昭和五三年ころから各営業所を順次独立させて新会社を設立していた。

同五七年ころ、嘱託員を含む日本精密の営業員の営業活動が沈滞し、一向に営業成績が向上する気配もなかったので、日本精密はその営業部門を他の営業所と同じように独立させて大阪事業所長望月長夫を中心とする新会社を設立し、独自の企業努力と採算によって運営させることとした。新会社は、主として新規契約を受注し、その契約金の一定割合を日本精密から報酬としてうけ、その中から従業員の賃金等必要な費用一切を賄うというものである。そして、同年八月一四日被申請人が設立され、代表取締役に望月が、取締役に営業員のうち数名が就任した。

被申請人は同年一〇月二一日から事業を開始し、右設立の経緯から嘱託員を含め従業員に関する労働条件等諸条件を従前のままにして一切の雇用契約、嘱託契約を日本精密から引き継いだ。

申請人も、その同意のもとに同日付で日本精密を退職し、被申請人に入社した。

しかし、被申請人は右改革の後も思うように新規契約の受注をとることができず、相変わらず赤字経営が続いた。そこで、被申請人は同五八年二月二五日右局面の打開をはかるために嘱託員を含む全従業員を招集して会合を開き、今後の対策を協議した。その結果、従業員らは「非常事態宣言」をするとともに、二億八百万円の売上目標の達成を誓い、代表取締役をはじめ営業員の昇給賞与の凍結、嘱託員の給与体系をフルコミッション制(完全歩合給制)に変更することを決議し、右旨の決議書を作成した。

申請人もその場で右決議書に署名押印をした。

7  被申請人は昭和五八年三月一五日ころ申請人ら嘱託員に対し、前記決議書に基づいて雇用関係の存しない業務委任契約の締結を提示した。右提示された契約の具体的内容は、被申請人の指定する地域内において、被申請人の定める電力設備メンテナンス契約及びこれに関連する業務並びに被申請人の定める商品の販売を委任することとし、売上高に応じて手数料を支払うというものであった。

福重と竹内は直ちにこれに同意したが、申請人は被申請人との間に雇用関係が存しないこと、完全な歩合制であることから右契約の締結を躊躇し、被申請人に対し前回と同様の条件に基づく契約締結を懇請して返答を留保した。

被申請人は同月一九日福重、竹内との間で右の業務委任契約を締結した。

申請人はなおも「暫らく考慮させて欲しい。」と申し述べ、被申請人との間で同月二二日、二八日、四月二日と契約内容についての交渉を重ねた。

申請人は同年三月二一日以降も従前どおり営業活動に携っていたが、被申請人はこれに対し何らの異議も述べず、同月末までは被申請人の請求に従って交通費の支給をした。

同年四月七日、申請人と被申請人との間で契約締結についての協議をしたが、合意には至らなかった。そこで、被申請人は申請人との間で新たな業務委任契約を締結することを断念し、申請人に対し、以後の就労をしないように通告した。

以上の事実が一応認められる。なお、本件疎明資料中、申請人の供述記載部分には、一部右認定に反し、申請人の主張に副う部分があるが、本件に表われたその余の疎明資料に照らしてた易く採用できず、他に右認定を覆すに足りる疎明資料はない。

三  以上の認定した事実によれば、そもそも嘱託契約は営業上の必要から期間を一年に限って臨機応変に雇用量の調整を図る意図で活用され、しかも、右契約は高令者を対象とするためにその年令上、健康上の観点から契約更新の可否を一年毎に検討する必要があったこと、申請人との嘱託契約は過去二回に亘って更新されたが、その際労働条件について個別に具体的な交渉がされたうえで、毎回仕事の内容、賃金等重要な事項の変更を経て契約書作成、契約更新に至っていることが明らかである。

これらの諸般の事情に鑑みれば、期間の定めのある本件契約が更新により期間の定めのない契約に転化したとは到底認められないし、また、当然更新を期待するべき客観的状況も窺われず期間の定めのない契約と実質において異ならない状態になったとも認められないものである。したがって、申請人において昭和五八年三月二一日以降も契約が更新される旨期待していたとしても、それは単なる主観的な期待にすぎないというべきである。

次に、契約期間満了後の右同日以降同年四月七日までの間申請人が就労していたこと、しかるに被申請人がこれについて異議を述べなかったことは前記のとおりであるが、前記第二項6認定の事情に鑑みれば、これをもって嘱託契約が自動的に更新されたとか、あるいはまた、更新について黙示の合意があったということはできない。

四  そうすると、本件嘱託契約は期間満了により昭和五八年三月二〇日をもって終了したものというべきであるから、申請人の本件申請は被保全権利の疎明がなく、また保証をもって右疎明に代えることも相当ではないから、その余の点について判断するまでもなくこれを却下することとし、申請費用について民訴法八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 上原理子)

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